| 石原良純さんプロフィール |
| 1962年、神奈川県逗子市生まれ。作家・政治家の石原慎太郎氏の次男として生まれる。叔父は昭和を代表する俳優・石原裕次郎氏。兄は政治家の石原伸晃氏、弟は政治家の石原宏高氏、末弟は画家の石原延啓氏。俳優、気象予報士として活動するほか、タレントとして数多くのテレビ番組やメディアに出演。幅広い分野で活躍を続けている。 石原良純オフィシャルWebサイト Instagram「Ishihara Yoshizumi」 |
憧れのライフスタイルを送る話題の人に、暮らしと住まいのこだわりをお聞きする本企画。今回ご登場いただくのは、タレント・俳優・気象予報士として活躍する石原良純さんです。父・石原慎太郎さんが建てた逗子・田園調布のご実家から現在のご自宅まで、住まい遍歴と暮らしのこだわりについてお話しいただきました。
記事サマリー
父・石原慎太郎の理想が詰まった「逗子の実家」
数多くのバラエティー番組やメディアに出演し、テレビで見かけない日はないほど幅広く活躍する石原良純さん。作家・政治家として活躍した石原慎太郎さんの次男であり、昭和を代表するスター・石原裕次郎さんの甥としても広く知られています。
神奈川県逗子市に生まれ、かの有名な「石原家」の一員として育った良純さん。良純さんの「家」と聞くと、これまで多くのメディアで紹介されてきた逗子と田園調布のご実家を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

住まいの遍歴を伺うと、良純さんのいちばん古い記憶は、のちに「石原慎太郎邸」として知られる逗子の家へ引っ越す前に暮らしていた家だといいます。
「日本間でストーブがボーッと燃えている光景だけが頭に残っています」と良純さん。
その家は同じ逗子市内にあり、障子や襖、縁側を備えた、まさに“純日本家屋”といった佇まい。元々は東京で料亭を営む女将の別邸だったものを、父・慎太郎さんが購入したそうです。
「縁側に廊下があって、障子と襖で仕切られたところが居住空間になっているから、何しろ寒かった。とにかく底冷えがすごくて、よく風邪をひいて寝込んでいたのを覚えていますね。庭は広かったけれど、純日本庭園なので子どもが走り回れるような場所はない。植木が立ち並び日当たりは良くなかった。だから当時、僕の中で家は“暗くて寒い場所”というイメージだったんです」
広い日本庭園を備えた趣のある住まい。しかし幼かった良純さんにとっては、その風情よりも「暗さ」と「寒さ」の印象のほうが強く残っているようです。
その後、良純さんが幼稚園に通う頃には「石原慎太郎邸」として知られる逗子の邸宅へお引越し。

「この家は、まさに親父の趣味で建てた家。当時親父は『子どもが風邪をひくのを見て可哀想だから新しい家に引っ越した』なんて言っていたけれど、実際は家族のことなんて考えていなかったと思います(笑)。
いちばん眺めがよくて日当たりのよいところに父親の寝室があって、その部屋の並びに母親の寝室。そして、大きな客間とアトリエ、書庫。家の大半は親父のためのスペースですからね。子どもは、4人兄弟で一部屋しかなかった」
そんな逗子のご実家で最も象徴的なのが、広い玄関と吹き抜けの大きな階段。階段を取り巻くように回廊があり、まるで西洋のお城のようなつくりです。

「前の家に比べて日当たりは良くなり、駆け回れる庭はできたのですが、子どもは自由に遊べませんでした。親父は作家だったから、夜に作業をして午前中は寝ている。親父が起きるまで、子どもは絶対庭に出てはいけない。物音を立てぬようドアの開け閉めまでうるさく母親に注意されていました。結局、広い家だけど子どもは窮屈に暮らしていたなぁ。でもほとんど親父は家にいないから、その時はのびのび過ごせたんですけどね(笑)」
と、時々文句を挟みつつも逗子のご実家について語る良純さんは終始楽しそう。

「僕が大人になってから一度だけ親父の寝室で寝たことがあったんです。そのときに『ああ、なるほどな。この家はこの部屋のこのベッドで寝る人のためにつくられた家なんだ』と分かった。つくづく親父らしい家でしたね」
26歳まで住んでいた「田園調布の実家」
逗子の家とともに知られているのが、東京・田園調布のご実家。父・慎太郎さんが政治家になり、東京を拠点とするようになってから建てた家だそうです。田園調布の家が完成してからは、良純さんも逗子と田園調布、2つの家を行き来する生活を送るようになりました。

「田園調布の家は、親父にとってあくまで“仮住まい”だったんじゃないかな」と良純さん。ご自身にとってもそれは同じだったようで。
「考えてみると、逗子の家に住んでいたのは7年くらい。実際には田園調布の家で過ごした期間のほうが長いんです。それでも、僕にとっての“実家”や“ふるさと”は、やっぱり逗子の家なんですよね」

田園調布の家にも、逗子の家と同じように広々とした玄関があり、ここでも父・慎太郎さんは遮光や遮音にこだわったつくりにしたそうです。

「親父は、家ではとにかく静かでいたい人だったから、逗子の家にしろ田園調布の家にしろ、どこか暗かった。僕に子どもができて実家に連れて行くと、怖がって泣くんですよね。空間は広いのに薄暗くて、空気がひんやりと冷たい。そこに大きな階段や回廊も子どもには怖かったみたいです」
初めての一人暮らしは「100平米の新築マンション」
26歳まで田園調布のご実家に暮らしていた良純さん。とある出来事がきっかけで、一人暮らしのスタートを決意したといいます。
「東京で仕事をしていたし、撮影所やテレビ局へのアクセスも悪くないので、家を出る理由が特になかったんですよね。ただ、当時付き合っていた彼女と別れたとき、ふと思ったんですよ。地方出身の彼女は一人暮らしをしているのに、俺がいつまでも実家に住んでいるのはおかしいと。『これは甘えだ。だからフラれるんだ!』って気づいたんです(笑)」

そこから勢いに任せて一気に家を出た良純さんが新居に選んだのは、目黒区にある約100平米の新築マンションでした。
「どうせ一人暮らしをするなら、いい家に住んでやろうと思ったんです。だって、実家にいれば何不自由なく暮らせるんですもん。それなら、稼ぎを全部家賃につぎ込んでもいい。アーバンライフを満喫することに決めました(笑)」
さらに、部屋の内装デザインとコンセプトは、懇意にしていたという鉄道デザインなどで知られる水戸岡鋭治(みとおか・えいじ)さんに依頼。今回インタビューを行った良純さんの事務所も、水戸岡さんがデザインを手がけた空間です。

なぜ初めての一人暮らしに目黒を選んだのか。その理由を尋ねると、良純さんならではの持論が返ってきました。
「東京に出てきた人間あるあるだと思うんだけど、自分が出てきた方向から都心に向かって、その延長線上に住むことが多いんですよ。たとえば、西から出てきた人は中央線沿いあたりから住んで、北から出てきた人はまず文京区あたりの城北に住む。鮭と一緒ですよ(笑)。最初から一足飛びに港区へ入る勇気はないから、城南エリアの目黒を選んだ。これは思い当たる人、多いのではないでしょうか」
そんな目黒のマンションで約2年間の一人暮らしを経験した後、良純さんが次に移り住んだのは、世田谷区・東玉川にある一軒家でした。
「そこは元々、うちの母親に薦められてローンで購入していた家だったのですが、一軒家で一人暮らしには広くて住まなかった。でも目黒のマンションを出ると決めたとき、ちょうど借り手がなくて空き家だったのでそこに住むことにしたんです。妻と結婚して新婚生活が始まったのは、そこからでした」
子どもに「ふるさと」を作ってあげたかった
現在、良純さんがご家族と暮らしているのは、都内にある築15年の一軒家。良純さんが48歳のときに建てた住まいです。
家を建てるタイミングとしては少し遅めだったものの、そこには、これまでさまざまな家で暮らしてきたご自身の経験と、これから成長していくお子さんたちの未来を考えたうえでの決断があったといいます。

「40歳で結婚して、2人の子どもが生まれて。そのままマンションで暮らしていくのもよかったんですけど、僕は子どもたちにとっての“ふるさと”をつくってあげたかったんですよね。
それは、建てた家をそのまま子どもに継承するという意味ではなくて。たとえ家そのものがなくなったとしても、そこで暮らした記憶や思い出は残ると思うんです。地方出身の人って、“自分はどこの人間なのか”という意識があるじゃないですか。東京で生まれ育つと、そういう感覚が希薄になりがちですが、子どもたちには“ここが自分のふるさとだ”と思える場所をつくってあげたいなと思ったんですよね」
その考えのもととなっているのは、父・慎太郎さんから与えてもらったふるさと・逗子の存在だと話します。

「これは、親にやってもらったことを子どもにやってあげたいってことなんだと思うんです。俺は親父に逗子の家というふるさとを与えてもらったから。居心地はそんなに良くなかったんですけどね(笑)」
良純さんが思い描いた理想の住まいは「オープンで明るい家」。
「もちろん親父には感謝しているけれど、いざ自分が家を建てようとなったときには『逗子の家みたいな家は絶対にいやだ!』と思うわけです(笑)。別に悪い思い出があるわけじゃないんだけど、俺が思い描いている“家族の家”は、逗子の家とは全然違ったから」

一方で、現在のご自宅には、父・慎太郎さんが建てた逗子の家から影響を受けている部分もあるそうです。
「家を建てるとき、何にいちばんこだわったかっていうと、面白いことに『玄関』と『階段』だった(笑)。逗子の家の玄関は暗かったけど、あの大理石の床は暑い日に寝っ転がると気持ちよかった。だから、玄関は広いほうがいいなって」
そんな幼い頃の記憶と現在の理想をもとに造ってしまったのが、六畳ほどもある明るく広々とした玄関だといいます。
「でも、玄関ができた後に、親父は政治家で人が集まるから広い玄関が必要だったんだと気づいて。政治家じゃない僕には広い玄関は必要なかったんですね」

玄関には、父・慎太郎さんから新築祝いとして譲り受けた、猪熊弦一郎さんの絵画が飾られています。
自身の家を建てるにあたり、「どうしてもこの絵が欲しい」と慎太郎さんにお願いし、受け継いだのだとか。玄関や階段だけでなく、飾られた一枚の絵にも逗子の家で過ごした記憶が受け継がれています。
子どもができて気づいた「和室」の良さ
テレビをはじめ、さまざまなメディアで活躍し、日本全国を飛び回る良純さん。多忙な日々を送るなか、自宅ではどのように気持ちを切り替え、リラックスしているのでしょうか。
「それこそ、うちの親父は暗くて静かじゃないと眠れない人だった。だから俺も若い頃は、暗くて静かじゃないと眠れないと思い込んでいた。ところが、結婚して奥さんと子どもができたら、そんなことは言っていられなかったですね。奥さんのいうまま、家族と話ができてみんなが楽しく過ごしている状況こそ僕もリラックスできるのだとわかったんです」
家族との暮らしを重ねるなかで、住まいに対する考え方も少しずつ変わっていったようです。

良純さんの自宅での定位置は、大きなダイニングテーブル。大好きなお酒を楽しむことも多く、集めた酒器をディスプレイした棚もお気に入りのひとつです。
また、寝室に使っている4畳半の和室も、心からくつろげる場所なのだそう。
「和室の良さは、子どもを育てて初めて実感しましたね。子供を見ているのに、和室はすごく使いやすいんですよ。前は家族で川の字で寝ていたのですが、今は小さな和室に布団を敷いてひとりで寝ているんです」

ふと帰りたいと思えるのが「理想の住まい」
良純さんは、奥さまと2人のお子さんを持つ4人家族。現在は息子さんが家を出たため、奥さま、娘さんとの3人暮らしです。
「家族仲はいいんじゃないかな。今年の春も、息子が就職する前に旅行をしようかって話になって、みんなで山形に行ったり。それこそコロナ禍には、家を建てたときに買った電動麻雀卓がかなり活躍して、家族みんなで麻雀をするのが日課でしたね」
家族で食卓を囲み、ときには麻雀を楽しむ。良純さんにとって今の家は、家族との時間や思い出が積み重なってきた場所でもあります。
そんな現在の住まいについて、これから先の暮らしをどう考えているのか聞いてみました。
「今の家には満足しているけれど、娘が出て行って奥さんと二人きりになったら、暮らし方についてもう一度考えるんでしょうね。マンションに住んだことがあるから分かるのですが、やっぱり集合住宅は楽で暮らしやすいですよね。だから、どこかで今の家から出ることもあるかもしれない。年齢や暮らし方に合わせて住みやすい家は変わってくるのかもしれないですね」
家族のかたちが変われば、心地よい住まいのかたちも変わっていく。ひとつの家に住み続けることにこだわるのではなく、そのときどきの暮らしに合った場所を選んでいく。それが、良純さんの住まいに対する考え方なのかもしれません。

最後に、良純さんにとっての「理想の住まい」とは?
「家って、ひとりでいるのが楽しい人もいれば、家族で一家団欒するのが楽しい人もいる。でも、とにかく“自分にとって居心地がいい”ということが、いちばん大切なんじゃないかな。外にいるときに、ふと思い浮かべて『帰りたいな』と思える家。それが、僕にとっての理想の住まいなんだと思います」

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